探しものの教訓

こんばんは、ふじたまです。

部屋を片付けられないという話をしてから半年以上経ちますが、結局部屋は汚いままです。いや、多少マシになった…のか…? という程度。
で、モノをなくして困ることがやっぱりしばしばあるのです。が、「やっちまった!」と思ったら思わぬところで解決した事件があったので、記録しておきます。


1.事件のこと


①発端
以前購入したパッケージ版のソフトを使おうと思ったら、ディスクが見つからず。なぜか外箱だけがあるという謎の事態。前に使ったのが4年くらい前なので、記憶もあやふやです。考えて考えて、「親に貸したような気がする!」という結論に至り尋ねてみるも、「持っていない」という答えでした。

②捜索
心当たりのある場所をあらかた探し尽くしてから家族に尋ねたので、もう「予想だにしない場所」にあるとしか考えられないなと思い、片っ端から大捜索することに。
洋服ダンスとか本棚とか。家具の裏、ベッドの下も。しかしそれでも見つからない。「もう部屋にはないのでは…?」とも思いましたが、外で使う機会はなかったはず。さらに捜索中に、以前なくしたと思って買い直したものが発掘されたりも。変なところにあるという可能性も益々濃厚に感じられてしまったのでした。

③発見
自分の部屋の中すらまともに管理できない自分…。とだいぶナーバスになってきた頃、親に「念のため」と、もう一度ソフトを持っていないか訊いてみました。「無いと思うけど、そんなに言うなら見てみようか」との返事。そして約5分後、

…あった。

両親の部屋のPC関連グッズ入れにあったのでした…。
「貸した気がする」という自分の記憶は合っていて、親がそれを完全に忘れていただけだったのでした。


2.教訓など


見つかったことへの安堵、徒労感、確認もせず「無い」と断言した親への憤り…と、ちょっと複雑な心境になりました…。

①片付けはもっとちゃんとした方が良い
元をただせば、部屋が汚いことが原因なのです。やっぱり。きちんと整頓された部屋なら、「変なところにある」なんて可能性はそもそも浮上しないはず。
所定の位置になければ、さっさと「部屋にはない」という結論に至れるわけです。整理整頓の習慣を身に着けることは、相変わらず課題です。

②自分の記憶にもうちょっと自信を持つべき
他人の方が正しいということが多いんです。仕事でも何でも。だから、否定されるとすぐ「自分が間違ってるんだな」と結論付けてしまいがちです。
でも、自分の間違いは大抵が認識の間違いだったりします。解釈がおかしいとか、変なふうに受け取っているとか。だからきっと、記憶そのものは人並みなはず。「相手が間違えている・忘れている」という可能性を意識した方が良さそうですね。

③適度に自責、適度に他責。
何でもかんでも自分のせいだと思う必要はないなと思いました。もちろん反省すべきところはちゃんと省みていかねばなりませんが。
たぶんわたしは、「自分が/相手が○○だったら××しなかった」みたいに、全責任を一か所に帰するような考えをしがちなんだと思います。そうじゃなく、「自分は○○だったし、相手は○○だった。だから××になった」と、多元的に物事を捉えることが本当は必要なんだろうなと思いました。

以上、本日の人生勉強でした。…内容が硬い!

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