深夜のめんどくさい独り言

こんばんは、ふじたまです。かつてないほどの深夜更新です。
いつの間にかブログの記事数が100を超えていました。続いたものですねー…。しかし一向に成長はせず。
ということで、このタイミングでちょっとコミュ障とブログについての独り言を垂れ流しておきます。

このブログを始めたとき、「コミュ障を主張するブログって他にあんまりないよなあ」と思って開設したようなところがあります。
ニーズはあるのに先駆者がいない分野なのでは? と。

しかし始めてみて実感したのは、そもそも情報発信ができないからこそコミュ障なんだよなあ……というある意味当たり前のことでした。
情報発信がうまくできるようになっていたら、それはもはやコミュ障卒業してるってことですよね。だから検索してヒットするような成功したブログにはコミュ障がいない。理屈としては筋が通っています。

実は、以前検索した時、「同じ方向性かな」というようなブログは見つけていました。『人と会わないで稼ぐ方法|生きる術、探しています』という名前のブログ。まさにわたしの先を行く人! と思っていたのですが、しばらく間を空けて覗いてみたら、大分違う趣旨になっていました。タイトルも変わって、『職業は、”ライター”です』に。「ひきこもるのをやめ、外に出ていくぞ!」という、非常に前向きな感じになってました。

世間的に見ても、やっぱりコミュ障がそのまま前向きに受け入れられることって無いのかもなあ、と思います。ブログもそうですけど、他のメディアでも。
「かつては人と話すのが苦手だったけれど今は頑張っている」とか、「大切な人に出会って変わった、人の温かみを知った」とか、ほぼそういう文脈でしか出てこないんじゃないでしょうか。
つまり、コミュ障は通過点や黒歴史としか認識されていないわけです。「それを乗り越えて一般社会に参入すること」が前提として期待されているのだと思うのです。

何か、息苦しいというか、しんどいです。
「ありのままを受け入れて!」なんて言うつもりはないですけれど。コミュ障を名乗って一般社会に向けた情報発信をするということは、いつの間にかそういう「成長の過程にいる」みたいな文脈の中に組み込まれていくということなのでは、と思います。できることなら、その枠の外にいたいです。
「別に受け入れられなくても良いからそっとしておいてくれ」と思うのであれば、そもそも情報発信をするべきではないのかもしれません。

そう考えると、このブログって何なんでしょうね。「自分と同じような人のため」なのかもしれないし、結局広告収入がほしいだけなのかもしれない。一方でもし本当にお金が得られる規模になったなら、世間の文脈と自意識のギャップでもっと苦しくなりそうに思います。
自意識がめんどくさい具合に絡まって今このブログが形成されています。結局のところ、わたしのコミュニケーションは断絶しているのでしょう。外側にも、内側にも。整理できないことや分からないことを確認して、変わらないことや伝わらないことに安心しているような。捻じれてるなあ、と思います。以上、特に意味のない考察でした。

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